言い訳

そうか、はてなダイアリーからはてなブログにマイグレートされたんですね。

今月の閲覧数が100件を超えたよという通知が来て気付きました。

このブログの他に、自分はもう一つはてなブログを持っていますが、そちらも含めてブログを書くのは本当にご無沙汰です。なにせ書くことがなかった。

毎日一件以上mixi日記を書いていた学生時代が信じられません。

「書くことがない」というのは、厳密には書くほどの質と量を持つ話題の在庫がない、と言うのが正しいところです。

アウトプットが大事と言うのはよく言われますが、自分の頭の中でまとまってないものを書いてもなあ、という気持ちが先行して、結局書く気にはならないわけです。

さらに厳密に言えば、量はあるかも知れないのです。質が足りていない。

中身の質を上げるのは容易ではありません。そのうえ、毎日一件以上mixi日記を書いていた頃とは年齢も立場も違います。それなりに要求されるものが増えてきているわけです。

そんななかで、人生に疲れてみたり、ほかにやらねばならないことがあったりでは、ブログなり文章を書く頭の余裕も確保できなかったわけです。

ほかの同年代の人たちには、テーマとしてこれを書くというものが明確に定められて、きちっとそのテーマについて質を担保して書ききっている方が多いように見受けられます。

ホテントリとかを眺めていれば、質の高いコンテンツばかり流れてくるのは至極当たり前で、それを比較して自分はあそこまでは書けないっ…、と自重している面もありました。

テーマの話が出ました。質の話ばかりではなく、なにについて書くか、テーマを決めることもブログでは重要です。

会話の中での話題の豊富さには、時折自信があります。会話をしながら、あの話題と似ているから、それについても言及してみるかとか、全く違う話と見せかけて、最後にオチで一緒にしてみるとか、そういうのは好きだし、よくやります。

文章を書くと言うのは基本的には一方通行です。会話は双方向ですから、半分は会話相手がコミュニケーションコストを持ってくれます。

会話であれば続くものの、ブログが書けないと言うのは、今の自分の頭がそういうふうに最適化されているからでしょうか。

前段の通り、会話の中の引き出しは決して少なくないと思っていますが(でも、ワンパターンだなという自覚もあります)、それらは小さい引き出しで、文章を書くためには、もっと引き出しの中の容積を大きくしなければ書ききることができないのです。この大きさが、前述の質そのものであるわけですが。

どちらにせよ、引き出しの数が多ければいいというものではないのですね。

さらに言えば、今の頭の引き出しは、会話という外部からの刺激無しには開かないものにになってしまっています。

自分で選んだ引き出し(=テーマ)を能動的に開けることができなければ、文章は書けません。

書こうという意識がないと文章は書けないな、と今こうしてつらつら書いているだけでも痛感します。

話題の引き出しの数も容積も、ただなんとなく生活しているだけでは増えないし大きくなりません。

すこし意識を変えてみて、書き始めてみようかなと思います。